Manifesting Paradise

Dear Readers,
I am so honored that Sonoko Young-Sakakibara was willing to translate some of my blogs into Japanese. We have many Japanese people visiting the Big Island and my hometown of Honoka‘a. I invite you to read her translations below. Be sure to click on the links to see the pictures embedded in the original essays.

My humble thanks to Sonoko. – Diane Scheurell

ハワイ島に住む夢を実現したダイアンさんの,ビッグアイランドブログ、「ハワイ島で夢を実現!:人生を目一杯楽しむには」
日本語訳開始にあたって翻訳者よりご挨拶 (Greetings from the translator of Diane’s Big Island Blog: Manifesting Paradise: Inspiring People to Live Full Out)

ビッグアイランド発、大人世代に送る、啓蒙と癒しのハワイエッセイ。(ハワイ以外にも、ダイアンさんの様々な国への旅行記もあり。)

アメリカ中西部ウィスコンシン出身で博士号をもつキャリアウーマンだったダイアンさんが家族でハワイ島に住む夢を実現させたのは2010年。ビッグアイランドの小さな町ホノカアに居を構え、昔からの夢だった文筆活動を開始。ユーモアと鋭い観察眼でビッグアイランンド(他の場所や国も!)のあらゆることを日々ブログエッセイに綴り、ついに自身の夢の達成の過程をつぶさに記録した本も出版! 

そのブログの日本語訳が読めるようになります!ブログはまず最近のハワイ島に関係あるものからピックアップされ随時更新中。

ダイアンさんの綴るブログは、少し上の、成熟世代に向けた、深く考えさせられたり、笑ったり、ちょっとびっくりしたり、心がほっこりしたりするたくさんのエッセイの宝箱です。移住者として、また、子育てが終わった世代にとってハワイに住むこととは、パラダイスに住むこととは一体どんなことなのか?ハワイ島の文化、歴史、コミュニティー、女性の立場、政治問題から自分探し、友情、子供たちの巣立ち、リタイア後の人生設計。。。、などなど。旅行者の私たちには見えないありとあらゆることが、まるでそこに住んでいるかのように身近に感じ、見えてくる。(読むと、ホノカアに住んでいるみたいな気分に!)

いいことも大変なことも持ち前のユーモアと前向き思考で乗り越えていくダイアンさんのエッセイは、ハワイに対する深い知識だけでなく、成熟世代の私たちに前に進む元気を与えてくれます!人生の後半の日々をどういう風に過ごしていきたいか、モチベーションとヒントがいっぱい! 

ブランド品やパンケーキ、若い女性御用達情報は溢れる他の雑誌に任せて(といいつつダイアンさんはミーハーなことも大好き)、もうワンレベル突っ込んだハワイを知ってみませんか?

ハワイ島以外の国の旅エッセイも読み応え大!リクエストがあれば他の国への旅行記も順次翻訳版を載せていく予定です。感想、コメント、リクエスト、質問、お待ちしております。

尚、ダイアンさんのハワイ移住の実現記録である著書、Manifesting Paradiseは英語でのみ出版されております。興味があるかたは、ダイアンさんのブログより(アマゾンUSA)お求めいただけます。本の日本語訳も準備中!

ただいま翻訳中の中から、訳者の好きなホノカアについて書かれたダイアンさんのある日のエッセイをプレビューとして下に載せました。ぜひ他のエッセイもお楽しみに!

A Safe cocoon —Honoka’a
安心できるる私の居場所、ホノカア
2015年 8月7日

2ヶ月ぶりにやっと家に帰ってきた。イタリアではいろんなことを勉強できたし、ウィスコンシンで妹たちに会えたのも嬉しかったけど、やっぱりハワイ島に帰ってきてホッとした。長い旅行にはつきものだけど、たまった洗濯物をして、郵便物に目を通して、庭の草を少しなんとかして、やっと月刊ハマクア新聞をゆっくり読んで、いない間にどんなことがあったのかをじっくり。。。そして読んだ後、ここに住んでて本当に良かったな、と思うのだ。

まずハマクアとラウパホエホエの月間の犯罪統計の記事から。6月には4件の車両盗難事件。12件の盗難、2件の車上荒らしと2件の物損。4件の車両盗難事件のうち、すべての車が持ち主の元に戻った。島だものね、盗んでもどこへ持ち出せるわけでもないし。。。

その他の記事は、「缶入り飲料が数本盗まれており、何者かがライパホエホエ コミュニティー チャータースクールの体育館に侵入した際、鍵が壊された。」「ククイハエレ地区の住居の前庭から郵便箱がなくなった。」「ホノカアアの店でテーブルの上にあったリュックがひとつ盗まれた。」「50ポンド分のコーヒー豆が店のオーナーの許可なしに売られた。」。。。。そして、これが私のお気に入りなのだが、「ラウパホエホエにある店からアイスクリームサンドがふたつ盗まれた。」

この夏、世界中で起こった恐ろしい事故や事件と比較して、小さな地区の小さなコミュニティーに住んでいることのありがたみをしみじみ感じている。教会爆破、チュニジアでの無差別大量殺人、差別/憎悪の書き込み、警察官に関係する暴力、殺人、終わらぬ中東の紛争。。。これらの憎悪にあふれたニュースを使って、様々な宗教や、文化、生活スタイルを受け入れられない人々を煽る政治家や論客たち。

ハワイはアメリカ国内でも有数の他民族、多文化地域。ここに住む者は、一緒に生活し、仲良くし、お互いを大切に思い尊敬することを学んできた。今月のハマクア新聞からいくつかそれを証明するものを抜き出してみることにする。

     8月22日:ハマクア シュガープランテーションデイズ フェスティバル(砂糖産業のためにここに来たさまざまな民族とその文化を代表するパフォーマンスが繰り広げられる。)去年、最後の砂糖工場の閉鎖後20周年の記念行事を行った。今年からは毎年日本、中国、ポルトガル、フィリピン、プエルトリコ、などさまざまな国の他民族多文化ハワイへの貢献を記念する行事として定着するのだろう。

     8月23日:灯篭流し(ノースハワイホスピス主催)
このセレモニーは日本や中国でみられるもので、亡くなった方の魂を黄泉の世界へ導くために灯篭を水に流すそうだ。ハワイに独特なのは、海に灯篭を流す時に、フラ、太鼓、ハワイのチャンティング(お祈り)、そして音楽の演奏などが加わること。灯篭は販売していて、なくなった方の名前を自分で入れることができるのだ。

     9月26日:第九回 ピースウィークとピースデイパレード。一週間に及び、平和、共感、共存について語り合う催し。ホノカアは国連の国際平和の日を祝う全米で初めてのコミュニティーとなった。一週間に及ぶ行事はホノカアの本願寺仏教寺院が企画し、町全体が参加。子供たちの活動では図書館で開催される「Read for peace」、平和ポスターコンテスト、マーチングバンドなどなど。そして、「199000羽の鶴」プロジェクト。実行委員会が199000羽の折鶴を、広島と長崎の原爆被害者の方々のために集めるプロジェクトだ。集められた折鶴は広島と長崎に寄贈されることになっている。

この地区にあるノースハワイ エデュケーション&リサーチ センターには面白そうなクラスがいろいろある。その中で、初級ハワイ語、ハワイにおけるポルトガル文化、やさしい日本語、この三つをこの秋は取ってみようかな、と思案中である。

そう、本当にここに帰ってこられてしあわせだ。ここでは私は私のまま受け入れられていると感じる。他の場所ではやってみようとも思わないことを安心して思いっきりできる。ここでは自分の人生を目一杯生きられるのだ。ここが私のホームなのだ。

翻訳: Sonoko Young-Sakakibara

Sure signs it’s fall in Hawai‘i
ハワイの秋のサイン
2016年 11月16日

ハワイでは季節の変化はとても微妙である。5年間ここに住んできて、季節の変わり目がようやく感じ取れるようになってきた。秋はすずしい、何日も続いてしまう雨の日と暖かい日差しの乾いた日が交互に起こる。私はこの秋の雨の間の暖かい日差しの日々がすべての季節で一番好きだ。アニタと一緒にヨガ教室へ歩いていく途中、ママネ通りからまっすぐお日様があがって、ずいぶん太陽の角度がかわったことに気づいた。長い私の朝の影があるいていく方向にのび、せなかに暖かな朝の光があたっている。雨や時雨が降るときはカプリか長いパンツをはき、Tシャツの上にスエットを羽織るようになった。短パンとタンクトップはもう寒くてきられない。クラスの間でさえもスエットはぬがないかも。(写真一枚)


日曜の午後6時に瞑想のクラスが終わると、もう日が落ちて暗い中帰宅しなければならない。幸運にもホノカアはまったく安全なので気にはならない(「安心できる私の居場所、ホノカア」のエッセイも見てね)。夜には2軒のレストランしか開いていないので通りには人がいない。ホノカアシアターには日曜日の夜の催しに来る人を迎えるあかりがついている。人のすくない通りをその明かりがやさしく照らしている。(写真一枚)


我が家のスターフルーツの木には黄緑がかったゴールドにかがやく実が何百となる。去年トーマスとキムがロープで手の届かない部分の枝をやさしく折れないように引き寄せて留めてくれたので、全ての実に手が届くようになった。一番高い所のものでもはしごがあれば大丈夫。日曜の朝、ハマクアのファーマーズマーケットに75個ほど持っていった。今週もまた同じぐらい持って行くつもり。ファーマーズマーケットのよいところは、売れ残ってもドネーションとしてもっていってくれること。小さなオレンジの木にも実がなってるけれど、これは家族と友達のためにとっておく。(写真二枚)


ステイシーのうちの前庭に、たくさんのマカデミアナッツが落ちていて、自分でローストするのに自由に拾わせてもらっている。家の裏庭でこれらをまず乾かすのだが、そのながーいプロセスが始まったばかり。まず、拾ったものをそのまま乾かす。乾いたらまず外皮を取る。それらをまた天日干しし、乾いたら殻を割り、こんどはオーブンで乾かす。そのあと、やっとローストする。食べられるまで2,3ヶ月かかるのだ。今現在100ポンド(45キロほど)ものナッツをバックヤードで乾かしている。(写真3枚)


運がいいときはパッカーズ(ウィスコンシンがホームのフットボールチーム)の試合を日曜日の朝か午後の早い時間に見ることができる。ハワイでは彼らの試合が全て放送されるわけではない。シーズン中の成績がよければよいほど、ソファに座ってコーヒーを飲みながら試合が見れる確立が高くなる。いくらウィスコンシン出身者でもさすがに午前中にビールを飲むのは憚られる。


秋になって困ることと言えば、クラブスパイダー(かにのような形をしてる蜘蛛)があらゆる場所に蜘蛛の巣をかけることだ。庭を歩くときは箒か、やしの葉の落ち葉で巣を掃いながら歩かなければならない。なかなか働き者の小さな固い蜘蛛である。(写真一枚)

海も冷たく、波もしばしば10フィートから14フィート(3メートルから4メートル)にもなる!なので、この季節になると、海でぷかぷか浮きに行くことができなくなる。でも、それもまあ、よい。冬がやってくれば泳ぐかわりに鯨を見ることができるから。(写真一枚)

とにもかくにも、秋の恵みに感謝し、それらを見ることができることに喜びを感じる。心地よく、その時その時を生きれば感謝の気持ちも湧いてくるものなのである。アロハ。

マカデミアナッツについてはこちらのブログエントリーも見てね:Roasting macadamia nuts - watch like a hawk!(未翻訳、英語のみ)

  Macadamia Academia (未翻訳、英語のみ)





Exploring Ka'u (Punalu'u Black Sand Beach and Na' alehu).
カウを探索する(プナルウ黒砂海岸とナアレフ。
2016年 10月30日



妹に、このごろ全然家にいないねと指摘される。。。ここビッグアイランドで旅気分を満喫していたのだ。ステイケーション(滞在を中心に楽しむバケーションのこと)をこれほど楽しめる、ここビッグアイランドに住んでいる醍醐味を感じているところだ。


先週ディアンヌとジュリアと一緒にプナルウ黒砂海岸公園のあるカウ地区と、ボルケーノ国立公園へ出かけた。2ベッドルームあるレンタルコテージが一晩75ドル!なんてお得!プールもジャグジーも私たちのラナイから見えるところにあり、ラバポイントに打ち寄せる波の景色がすばらしいところであった。(写真6枚)


金曜の午後まずプナルウビーチへ寄る。去年妹とそして何年か前には家族で来たことがある。でもそのときはどこかへ行く途中にちょっと寄った、ぐらいだった。(写真一枚)


今回はゆっくり探索できた。駐車場の左がわにホテイアオイとすいれんが密生した大きな池がある。この池は小川や湧き水が注ぎ込む水路システムの一部になっている。見たことないアヒルがよちよちと歩いてる。。。 少しの幅の黒砂の地峡のすぐむこうには波が砕けていても、この池の水面はこんなに静かで、とても平和。。。(写真一枚)


人々は本をよんだりカップルでパームツリーに引っ掛けたハンモックに乗ったりしている。地峡の海側には泳げる場所があり、若いお父さんがちいさいこどもをしっかり抱っこして海につかっている。ここはとてもちいさいビーチだけど、ここらへんの海岸線で溶岩のへりでない最大の部分でもある。そして、島のこちら側(南南東側)では数少ない泳げるビーチでもあるのだ。(写真一枚)


はじめてここに来たとき、本当に黒いビーチがあるんだ、とびっくりしたのを覚えている。溶岩がこの地域に流れ込んだ時、冷たい海水とぶつかって黒い溶岩が粉々になったのだ。(写真一枚)


ビーチをどんどんあるいてウミガメが甲羅干しをしているスポットがある。ここへ1000キロ以上も泳いで産卵に来る者もいる。産卵シーズンのピークは5月から12月。すべてのウミガメは州法と連邦法で守られている。去年妹とここでウミガメを一匹みつけてラッキー!’とおもっていたけど、今日はなんと10匹も夕暮れの太陽のなかで寝そべっている!立ち入り禁止区域外の岩の後ろの砂地にひざをついて、午後のやさしい風と黒砂のほっこりした暖かさを感じながらこの古く美しい生き物をじっと見ていた。(写真一枚)


ハワイ島の南東は貿易風が太平洋をわたるときは風が強く、波も大きい。確かに、金曜から月曜の旅行中風はずっと吹いていて、ある夕方はぼうしが飛ばされるほどだったのでプールで泳ぐのをやめたぐらいである。でも、この地域は普段蒸し暑いので、風はいい感じで気持ちよかった。(写真一枚)


夕暮れの空の色はとても落ち着いた色で、日の出もまた、美しく、そしてエネルギーを感じる風景であった。カウではサンライズもサンセットも両方美しくみることができる。ホノカアでは植物が多すぎてなかなか地平線は見えない。なので、そこもハイライトであった。


土曜日にまた黒砂ビーチにもどると、遊泳できるちいさいビーチのところに一匹の大きな亀が甲羅干しをしていて、人が集まっていた。みんなキチンと距離をとりつつ写真をとっていた。海泳ぎをする人たちが時々亀に水中であったりするとやはりびっくりするのだろうなあ、と思ったりした。


水に入ってみたのだけど、コナと違いずいぶん冷たい。水の巻き込みも強く、全身入るのはあきらめた。もちろん、もう冬なので、コナでさえもここ三週間ぐらいは水が冷たくなり始めたのだけど。


午後はリゾートのコテージへもどってプールとジャグジー、そして昼寝。風がそよそよ気持ちいい。今晩のためによく休んでおかなければいけないのだ。というのも、ボルケーノ国立公園のジャガーミュージアムにある展望台まで50キロほど運転していかねばならないからである。近頃ハレマウマウ火口の溶岩位がまた上昇し、かなり活動が盛んなのだそうだ。


海抜0メートルから1200メートルまで登っていくのだが、途中で遠くに赤い光が見え始める。ジャガーミュージアムの手前標高900メートルのあたりで写真をとるために小休憩。展望台まではまだ19キロほどあるけど、ハイウェイからもその光がはっきりみえ、期待が高まる。


夜9時ごろ到着。駐車場は半分ぐらい埋まっている。強い風でよろめきそうになった。集まっている人はほとんどが若い人たちで、熔岩湖といっしょに自撮りしていた。’熔岩湖がこれほど活発に活動しているのは見たことがないので、今回はかなりいい写真が撮れているのではないだろうか。私の写真にはうまく写ってないけど、三箇所から熔岩が湧き出ているのがはっきりと確認できる。じき、横殴りの雨が降り始め天候が悪化したので車へ急いで取って返し、帰り道はあったかいココアを飲みながら帰った。


次の日、また火山国立公園へもどって、日中の火山を見学。立ち昇る二酸化硫黄以外のものが日中見られたのは初めてだった。風が熔岩湖の表面から煙を追いやると、赤い熔岩流がはっきりと見えた。ラッキーであった。


熔岩と黒砂海岸のほかにナアーレフというアメリカ合衆国最南端の小さな町を訪れるのもとてもたのしみにしていた。ハイウェイ11はマウナロア山、海、そしてサトウキビ畑の風景の中マカデミアナッツ畑や小さな農場をぬけていく。


ナアレフの町の人口は1000人にも満たない。しかしこの町のベーカリーは合衆国最南端のベーカリーとしてとても有名なのだ。プナルウ ベイクショップとビジターセンターにはいろんな種類のマラサダやおいしいものがならぶ。マラサダというのは、ドーナツのような、でも穴のない、あまいあげパンで、ポルトガルの移民たちによってもたらされた。お店によっては、ホノカアのテックスドライブインのように中にジャムなどがはいっているものも売っている。プナルウ ベイクショップではリリコイのアイシング(グレーズ)がけをいただいた。ほんとのリリコイを食べているみたい。。。朝9時まえについた時はもう店の前でお客さんが開店をまって列を作っていた。おしゃべりの内容が聞こえてきた。。「このまえのフェスティバルであなたの新しいマラサダの歌、聞いたわよ。バンドのだれが書いたの?」「私が書いたのよ。ダイアーストレイツ(アメリカの古いバンド)っぽいでしょ。」。。。。。この人たちマラサダがほんとに好きなのね。。。


あと、食べ物の話の途中恐縮であるが、ビジターセンターにはきちんとしたきれいなお手洗いがあることを明記しておきたい。こんな遠隔地にはやはりありがたいことなので。


同じとおりにハナホウというちいさなかわいいレストランがあり、パイがメインらしい。大きなショーケースに一杯ある!私たちはコーヒーを注文し、マカデミアナッツクリームパイをみなで分けることにした。今までで一番おいしいマカデミアナッツクリームパイであった!ここのものはすべてお店で手作り。ハンバーガーを頼めばパテは地元のお肉でバンズはお店の特製。もしその日のスペシャルがローストターキーかローストポークなら、店の裏でローストしている。マッシュポテトも手作り。コーヒーはこれまた地元のカウコーヒー。


新しく友達になったリサは毎年感謝祭にはカウでキャンプをし、ハナホウ(ハワイ語で「また」「もう一度」などの意味)に感謝祭のご馳走を食べにくるのだそうだ。ある年、コナの友達とボルケーノにドライブしていたとき、ハナホウにつくまでは、と何も食べずにがんばってやっと到着、でもレストランはなんらかのファミリーイベントのためクローズ。がっかりして帰ろうとしたとき、レストランのオーナーがこの先もしばらく食べるところがないのを知っていたのでリサたちを招きいれ、持ち帰り用の入れ物にホームメイドのシチュー、やさい、ごはんとあたたかいパンなどをつめてわたしてくれたのだ。これがアロハの真髄なのである。またぜったいもっといっぱいご飯をたべにハナホウにもどって来たい。


ナアレフの町にはいくつかのかわいい教会と使われていない古い劇場がある。ここだけでなく、島の使われなくなってしまった劇場を見るたびに、私の町のホノカアシアターがまだ生き残っていることが本当にありがたくうれしく感じる。


しかし、ナアレフの町で一番記憶に残ることは、ディアナのお孫さんはお墓庭園、と呼ぶそうだが、墓地、なのである。ナアレフ墓地はハワイの多様性を私たちに教えてくれる。お線香がたてられている日本式の墓石、十字架のたっているお墓、天使とマリア像、ティーリーフが植えられたハワイアンのお墓、友達がおいただろうたくさんのギフトがあるお墓。。。開いていたり開いていなかったりのビールやお酒のボトル。亡くなった大切な人の写真をいれたきれいな手作りの木のフレーム、小さなアメリカ国旗、あるお墓には大きな馬の銅像まで。。。多分パニオロ・パニオラに敬意を表しているのだろう。私たちはこの墓地が語る物語におもいを馳せ、この町の文化の中に身をおいて、しばらくのあいだ瞑想して静かな時間を過ごした。


そして、いよいよレンタルハウスへもどり、荷造りし、ホノカアの私の日常にもどる時が。でも、また絶対おいしい食べ物、小さなナアレフの町の雰囲気、ウミガメ、熔岩湖、そして風とカウの静寂を楽しみに戻ってきたいと思っている。






We all take calculated risks (warm ponds in Puna)
私たちはみなある程度のリスクを覚悟している(プナの暖かい池)
2016年 10月21日


友達のステイシーが彼女の二人の友達と私を長い週末の旅行にプナへ行こうとさそってくれた。プナはワイルドであることで有名なのだが。。。以前プナ地域では大きい方の町であるパホアによったとき、レストランの駐車場が金網で囲まれていて、そこには気がかりな警告が。。。(車に対する破壊行為、盗難に対して当レストランは責任を負いません、的な)でも、泊まるところは安全なセキュリティー万全なコミュニティーにあると聞いていたので、さして心配はしなかった。(写真2枚)


レンタルコテージはとてもすてきで、2つのベッドルーム、そして道具の揃ったキッチンがあり、そこでみなで順番においしいご飯を作った。他の人のために料理をするときはいつも必ずあるリスクとして、アレルギーや食べられないものなどがある。今回旅したグループでも、ひとりは魚がだめ、もうひとりはチキンがだめ、そして私はビーフがだめ。もうひとりは原始人ダイエット、私はなるべくグルテンフリーにしたい。とはいえ、4日間の間なんだかんだでみんないろいろ食べた。(写真4枚)


コテージの一番の魅力はご飯を食べたりゲームをしたりする大きなテーブルのある広いラナイであった。そこにあるラウンジチェアーで朝コーヒーを飲んだり、いろんなことを話した。そのいすで夜寝た人も。驚いたことにあまり蚊がいなかった。(写真一枚)


ラナイからすぐのところには、これがほんとにこのコテージのすごいところなのだが、熔岩でできた大きな池があるのだ。海水が流れ込み、満ち潮引き潮にあわせて上下する。溶岩台地の中で暖められた温水がどこからかわきでているのもわかった。池の温度は海水の影響で少し低くなるときもあったけど、いつも大体温かかった。たてに長く、深さも2メートル少しあった。(写真4枚)


池はほかのレンタルともシェアされる構造だが、この週末は他のレンタルには誰もいなくて、私たちでひとりじめすることができた。ただ、少しはなれたところの民家の二階に年配の男性がたまに居ることがあり、はだかんぼで泳ぐことはちょっとできなかった。。。ま、別に問題はなかったと思うけども。ステイシーは、かわいそうに、ひざの手術から回復中でまったく泳ぐことができなかった。(写真一枚)


いつも水が透き通っていてきらきらしているのに驚いた(アハラヌイカウンティービーチのオリンピックサイズぐらいある汽水池とは比べ物にならない。その汽水池は60cm-1m50vmぐらいしかなく、利用者がとにかく多い。何度か入ったことがあるけど、ある日オムツなしの赤ちゃんが入っているのをみて。。。行かなくなりました。。。)


朝の光の中では、池に入るステップのところでティラピアの群れを一番きれいに見ることができる。レンタルコテージのオーナーが池をきれいにたもつためにティラピアを放したそうだ。えさをもらえるのかな、と思って集まってきたところをパチリ。釣りをしてもいいらしいが、必ず釣ったものは食べなければいけないルールだそうだ。でも見ているだけでたのしいのでつりはしなかった。パームツリーが池に写り込んでとてもいい写真になった。(写真一枚)


ジュゴンになた気分で、長い浮きチューブにつかまってながいあいだぷかぷかと浮いていた。いろんなことをおしゃべりしているうちに何時間も過ぎて水からあがる時間。そして静かな近所をすこし散歩。このゲートで囲まれたコミュニティーのほとんどの家の庭がこの自然の池に面している。もともとは小さいコテージが多かったようだが、ほとんどは大きなものに建て替えられた。(写真一枚)ふるい家屋は数件のこっているのみ。ほとんどの家が大きく建て替えられ、コミュニティー全体がゲートですでに囲われているわけなのだけど、個々のいえの前にもりっぱなゲートがつけられている。用心には用心をということなのだろうけれど。子供たちはおかまいなしで、海岸近くでは鍵をかけてない自転車がたくさん停めてあるのを見かけた。 (写真一枚)


娘たちにこのすばらしいコテージに来ることを提案したら、ていねいに断られ、ついでに、アハラヌイビーチにある天然の塩水温泉でだれかがバクテリアに感染した、という記事を送ってきた。


そこで、水質に関するレポートを見ることができる Hawaii State Department of Health (ハワイ州保険局)の情報サイトをちょっと調べてみた。4島内の調べたい場所の住所を入れるとその場所の現在の水の状態がわかるようになっている。カポホ・タイドプール周辺には、ウェルシュ菌と腸球菌を調べる調査ポイントが4箇所ある。見てみると、安全レベルである、とあった。よかった!


とはいえ、ある程度のリスク、ということについて考え始めてしまった。私の娘たちは、サメに遭遇するかもしれない海で泳ぐ。友達は、肺がんになるかもしれないと知りつつタバコを吸う。私たちはみな、事故に遭う確立があるのを知っているけれど、運転する。(写真一枚)

The new standard is Mauna Kea Beach.
私の新しい完璧ビーチの基準、マウナケアビーチ。
2016年 7月10日

一番お気に入り(だった)ビーチ(アナエホオマル ベイ)でちょっとしたアクシデントにあったことは二週間前に書いた。あれ以来ビーチへ行くのがすこし億劫になってたんじゃないか、って思っている読者もいるはず。。。実は新しいお気に入りビーチ発見!前向きです。

先週、友達のステイシーが久しぶりにマウナケアビーチ(ビーチにあるホテルにちなんでつけられた。ハワイの人はカウナオア、と呼ぶ)へ誘ってくれた。私がビッグアイランドに引越ししてくる何年も前から、ステイシーがよくつれてきてくれていた場所のひとつ。

ひとつだけ難があるな、というところは駐車スペース。早朝に来ないと停めるのが難しい。ホテルはパブリックアクセスのためにもうけている駐車場はそんなに多くないから。もし一杯の場合は誰かが帰ってからの場所をねらう、という感じ。でも、そのおかげで、いいことも。そのおかげでビーチが混雑するようなことはないから、ぷかぷか浮きながら瞑想するには十分な環境。もし早起きが苦手なら、お昼すぎには朝来た人たちが帰るので、そのころに入れ替えで訪れるのもあり。午後おそくにきてもサンセットがとてもきれいでそれもまたよし。でも、夜はサメが来るので暗くなってから水に入るのは危険です。ホテルのラバポイントから水中に照らしているのあかりにマンタが集まってくることでも有名で、私が死ぬまでにかならずやりたいことのひとつに、ホテルに何泊かしてマンタをたくさん見ることも入ってます。

マウナケアビーチは水が透き通り、遠浅で波もおだやか。 透明度の高さと遠くまで海の中を歩ける点ではアナエホオマル ベイに少し似てるけど、一番北と南の、湾を囲んでいるラバのところを除いて、珊瑚や岩、ウニもいないので、ケガの心配もなし。(ラバのあたりはスノーケリングに最適。)砂は細かく白くてきれい。実はこれホテルの機械できれいにしているそう。ほかの場所で見た砂のゴミを除去する機械は、どんなにやってもいつもタバコの吸殻やガラスの破片、ボトルキャップなんかを残していたのをみたけれど、ハワイ島のビーチは概ねきれいで、小さい子供たちを安心して遊ばせられる。

ハワイ島のビーチはどれも個性的。ビーチコーミング(砂浜できれいな石や貝殻など、珍しい漂流物を探すこと)、泳ぎ、日焼け、サーフィン、パドルボート。。。それぞれに適したビーチがある。ラバが粉砕してできた黒砂ビーチもあれば、サンゴの粒子の白い砂浜ビーチ、もある。だから毎日自分の気分にあわせてビーチを選べるのもうれしい。マウナケアビーチはビーチコーミングにはちょっと。でも泳いだり、砂遊びをしたり、日光浴をするにはベスト。私は焼くのはちょっと。。。でも、ちゃんと木陰もあるので助かります。

先週は忙しく疲れていたので、海でとにかくオーシャンボビング(ただ海の底をけってぴょんぴょん跳んだりすること、私のリラックス法)がしたかったのだけど、ステイシーが言うには、波打ち際が砂がやわらかすぎず深すぎず、歩くのに最適の硬さだから歩こう、といわれ、結局ビーチをずーっと端から端まで(560メートルくらい)行ったり来たり45分間パワーウォーキング!そして水にひざ下までつかってあと30分ウォーキング。。。で、やっと海に。3メートルもない深さの穏やかな湾がずーっと続く遠浅の湾なので、暖かくて、さっ、と入れる。やっとボビングし始めると、ステイシーが、「じゃ、今度は胸の高さのところを腕も使って歩くわよー!だぶだぶの二の腕に絶対効くわよーーっ!」だと。。。私はパス。ぷかぷか浮きながら瞑想タイム。。。極楽極楽。。。

ほんとにステイシーは私の二倍はエネルギーがある。観光客のだれかが浮き輪を遠くまで流してしまい、それをみた彼女は30メートルも泳いで取りに行ってあげる始末。それでちょっと疲れてくれてその後はリラックスできて、一安心。でも、そんな彼女が嫌なわけじゃない、ステイシーが友達でほんとに感謝してる。一緒にいると、いつも楽しいことばかり。

今週またマウナケアビーチへ。朝8時15分に着いたのだけど、ホテルの駐車場は一杯で停められず。。。でも、ステイシーが長年住んで知ってる小さな穴場ビーチへ案内してくれて、そこでボビング&瞑想。でも、やっぱりマウナケアビーチのほうがいい。次回は朝6時50分までには家を出る。完璧ビーチで泳ぐにはそれぐらいの犠牲は。ビーチならどこのビーチでもいい、っていう節操がないのはちょっと。マウナケアビーチが私のビーチの新基準、になりました。


Solstice full moon
夏至の満月
2016年6月22日

季節を感じながら生活できたらな、と。月の暦や潮の満ち引き、森の変化を感じたり、とか。でも実際問題、赤道に近いほうに暮らすようになって、以前よりもっとそういう感じとは疎遠になっているような。日の長さは一年中大体同じ。ハワイ島では冬の大波と新しく育つ木々に、春の花の先初めくらいを除いて大体年中同じなような気がする。実際今何月だっけ、と思うときもあったり。っていうか、歳かもしれないけど。よく昨今の若い子たちは、携帯に釘付けになってないで自然に感謝したり楽しんだりすれば、といつも説教している私。でも、ビーチをあるくことぐらいしかしてない私だってまあ、同じようなものか。。。

ということで「自然ともっと頻繁にふれあう」ということを最近目標にかかげました。月齢とか季節の変わり目を意識することからはじめようかなと思う。ちょうど夏至の満月がそろそろだなあ、と気付く。

友達のディアナと私はきのうよる8:30ごろ共通の友達を空港へ迎えに行った。待ってる間、火山の上の方の雲の合間からコナの町の明かりを下にして月がのぼるのが見えた。家に帰る途中雲がなくなったので、いいことを思いついた・・・ビーチにいってお月見をしよう。そこでアナエホオマル ベイに忍び込んで(パブリックビーチはこの時間一応クローズしているので。。。)ひんやりした砂の上を静かに歩きビーチチェアに寝転がり「sun-bathing(日光浴)」ならぬ「月光浴」を始めることに。

ヨガでならったチャンティング(静かなお祈りの声を発する)を20分ぐらい続ける。波の音が海の鼓動のように聞こえる。ココナッツがぽとんと落ちるおとが遠くで聞こえる。ちょっとしょっぱい空気を胸いっぱいに吸い込む。島のヨガやボランティアサークルの友達みんながここに一緒にいるかのように空想する。しばらくの間私たちは写真を撮ってと頼める誰かが通りかかるのを辛抱強く待っていたけど、こんな時間にだれもいるはずはなく、結局ディアナが写真をとってくれた。

なんだか自然崇拝儀式をやってるような気がしてきた。。。チャンティング、月光浴、そして瞑想。こんな深夜に外にいることも私にとってはかなりの冒険である。でも、サークルの友達と一緒に人生を深めたい、という目標のスタートは達成したかな。

一時間後、気をつけながら車まで無事もどる。ディアナに、彼女の名前(ディアナ、もしくはダイアナ)は月の女神の名前だったよね、と言ってみた。その夜にぴったりの名前だった。



"...the most outrageous woman in Honoka'a!"
ホノカアで一番ハジケてる女性!
2016年6月18日

先週友達とホノカア近辺の新しいレストラン、ワイピオ クックハウスへ行ってきた。友達がメンバーの、ママネ ストリート ミュージッククラブのミニコンサートを見るためと、シンガー兼、バイオリニストのテリの誕生日を祝うため。いまだに自分の誕生日を祝っている気分ではいたが。。。この歳になるとうれしい楽しいイベントは長-くひきずっていたいのです。。。

ワイピオクックハウスでヨガのクラスの知り合いに会ったのだが、彼女のだんなさんにはまだお会いしたことがなく、「まだお会いしたことなかったですね、ダイアンです。」と自己紹介させてもらった。

すると、にーっと笑って、「いや、存じ上げてますよ」という返事。「ホノカアで一番ハジケてる女性ですよね!」だと。明らかに去年のホノカアウェスタンウィークで行われた、サルーンガール アンド カウボーイ タレントコンテストで私を知ったようだった。一瞬驚いたけど、友達と一緒に大笑いしてしまった。ま、確かにそう言われてもしょうがないかも。

ふたご座である私は二面性があると思う。最近ノースハワイニュースにインタビューされた。去年のホノカア ウェスタンウィーク サルーンガール2015の称号を返還するにあたり、である。そのニュースクリップで私のブログについて語って、そのブログの副題が「人生を100%楽しむには ( "Inspiring people to live full out.")」であること、そのためには少しばかりのリスクは取るつもりであること、を話した。

リスクをとることと対をなす、もう一人の私といえば、心の平安を求めて長い長い旅を続けている。毎週瞑想のグループに参加してきて同じ志の友達もたくさんできた。ほかにもいろいろアクティブなタイプの瞑想、ヨガやビーチコーミング(砂浜できれいな石を探すこと)、ウォーキングやオーシャンボビング(静かに海の中で小さくはね続ける)なども実践してきた。お皿を皿洗い機から出すときでさえ、瞑想するような気持ちを心がけてきた。

はじけたりリスクを取ったりすることと静けさや平安を求めたりすることは相反するように見えるかもしれないけど、なぜか私は両極的に生きていると最高にしあわせを感じられるのだ。

昨晩のウーマンズサークルの会合で私がディスカッションをリードしていく役だったので、みんなに今年下半期にやろうと思っている目標を聞いた。目標といってもどうしても遣らなければいけないこと、ではなくて、こんなふうにすごせたらいいな、っていう理想、あくまでプランでいいので言ってもらうことにした。私がこんな風に下半期すごせたらいいな、と思い描いたことは、

 コミュニティーとかかわり続けたい:アニタとのヨガクラス、友達とのビーチアクティビティ、そしてファーマーズマーケット。
 女性サークルのみんなとの交流を通じて、もっと自分の人生について考えたい。瞑想グループに参加して心を静める練習。
 旅行をして人生を深める。
 書くことを通して学んだことをいろんな人たちと共有する。
 なにか音楽を始められたらいい。(いつからだろう、音楽が私の生活から消えたのは。。。)

体重も減り、体力もついてきた。よく歩き、毎日の生活の中での普通の動作にも気をつけている。一週間のうち5,6日は10000歩あるいているときもある。上腕も鍛えている。腕立て伏せも連続2回!できるようになった。

食べ物も以前よりずっとヘルシー。ほとんど肉を食べなくなって、魚と魚介のほうにシフトしている。

でも、このリストにあるのはただの細かいことに過ぎない。それより、これからどうしていきたいか、と深く考えたとき一番心に強く浮かぶのは自分が幸せであり、周りの人も幸せな気持ちにさせる存在になりたい、ということ。私は今とても充実していて感謝の気持ちで一杯。自然の近くにいられることもうれしくてしょうがない。他人からのネガティブな影響を自分に取り込まないこともどんどんできるようになってきた。以前よりも今の瞬間瞬間に感謝することが少しずつでもできるようになってきた。とても落ち着いて、穏やかな気持ちだ。

といっても、ホノカアでいちばんハジケている女性でありづづけることもできる。これって矛盾でしょうか。


Fireworks vs. meditation: setting intentions for the New Year
花火 vs 瞑想 一年の計は元旦にあり
2016年1月4日

大晦日は何をしましたか?私は普通なにも特別なことはしないのだけど、今年はこれから毎年続たいな、という事をした。ディアンヌとミッチと、ホノカアの本願寺の新年の催し(瞑想、法話、そして花火も)に参加したのだ。もちろん、食べ物と音楽はハワイではどんなイベントにも欠かせない。この日も The New Dharma Bandというバンドの演奏があった。

瞑想しながらゆく年に思いを馳せるのはやっぱり年のおわりにふさわしいように思う。数年前から、本願寺の「マインドフルメディテーション」という瞑想のサークルに毎週日曜日参加している。25分間の座っての瞑想(座布団じゃなくて、椅子ーうれしい!)、そして15分間の歩きながらの瞑想の後、1時間の法話、というぐあい。本願寺の談話室で行われるのだけど、仏教徒である必要はなし。だれでも参加できて、実にいろいろなタイプの人が集まってくる。その人たちとはみんなお友達になった。大晦日に、皆と、それに大好きなアニタのヨガクラスに来るような様々な人たちと一緒に静かで穏やかな心で今年を回想するというのはとてもいいものだ。

古澤伸吾開教使もその瞑想のサークルに時々参加してくださり、仏教について興味深いお話を聞くことができる。私はカトリック教徒だけれど、なんの問題もない。古澤先生はいつも私を歓迎してくださり、それで時々だが特別な会があるときは参加していた。

大晦日の今夜は古澤先生は法衣を着て、彼お得意のまんが法話をしてくださった。子供だけでなく、大人もこのまんが法話が大好きなのだ。今夜のお話はライオンを負かせると思い込んでいるうぬぼれの強いいのししの話であった。

その夜のハイライトは窓のすぐ外に釣り下がっている本願寺の鐘をつかせてもらえることだった。みんなわくわくしてきちんと列にならんで、いい音が新しい年につながっていくように鐘をうつ順番をまった(ただし、一人ひとつき)。

それが終わると花火をみに外へ。ほとんどの人生をウィスコンシンで過ごした私は新年の打ち上げ花火にはあまりお目にかかれなかった。寒すぎるからである。建国記念日の花火でさえ大きな公共の公園で、かなり遠くからみるそれであった。私の父は火で遊ぶことなんてもってのほか、という人だったから、誕生日ケーキにさしてあるような小さい花火さえしたことがなかった。だから、10メートルもない距離から花火をみるなんて初めてでとにかく楽しみだった。

花火職人はとり憑かれたように次々とロケット花火に火をつける。煙がこい霧のようになって流れていく。20分ぐらい続いただろうか。すごかった!そして、たくさんの食べ物。そして仲間たち。その後帰宅し9時ごろ寝床へ。次の日は朝7時までに七面鳥をオーブンに入れなければならないから。

次の日の朝、七面鳥の食べすぎでフードコーマの、今年はどんな年にしたいか考えてみた。誓いをたてる、というのはあまり自分にあってない気がする。誓いをたてたときはやるぞ~、という気持ちになるけれど、それこそ花火や鐘の音のようにすぐに消えていくような気がする。

もし読者の皆さんが新年の誓いをたてたのにあんまりなあ、という結果が多かったとしたら、瞑想と同じアプローチを使ってみてはどうだろう。反省の上にたち目標を定め、そしてその目標に近づくための具体的なプランを設定する。ぜひトライされることをおすすめする。

ps
ハワイにおける日本仏教については, Aloha BuddhaというDVDがあります。
*訳者注:ダイアンさんは実際2つのライフプラニングのクラス(オンラインプログラム)を取った、と書いていますが、ふたつとも英語話者に向けたものであるので、詳細は省きました。興味があるかたは、It's My Year class by Rita Hyland と Infinite Possibilities 30 Day Journey by Mike Dooley ですので、チェックしてみてください。







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